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瀬古利彦がオリンピックだけ成績悪いのはなぜ?メダル0枚ってマジ!?

マラソンランナーの瀬古利彦は、
大学生の頃に福岡マラソンで優勝し、
日本人学生の最高記録という成績を収め、

それ以降もボストンマラソンや国際マラソンに出場し、
何度も優勝しています。

それなのにオリンピックでは成績が悪く、
メダルも獲得できなかったのはなぜなんでしょうか?

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瀬古利彦がオリンピックだけ成績悪いのはなぜ?

モスクワオリンピックは出場できず

瀬古利彦は浪人して早稲田大学に入学し、
そこで出会った中村清監督に指導を受けることになります。

そのお陰もあってか、
1978年に福岡国際マラソンで優勝、
次の年にはボストンマラソンで海外初出場し2位という成績。

その時のタイムは、2時間10分12秒。
大学生でこれだけのタイムはさすがですね! 

大学を卒業し、1980年にロシアのモスクワオリンピックへ出場する予定でしたが
当時ソ連とアメリカは対立していて、アメリカがボイコットしたことで日本も不参加に。

金メダルが取れると期待されていましたが、
残念なことに出場できませんでした...

ロサンゼルスオリンピックの直前に体調不良に

その翌年も国際マラソンやボストンマラソンに出場。
1983年の東京国際マラソンでは、2時間8分38秒で最高記録を出します。

その次の年のロサンゼルスオリンピックにも出場が決定。

しかし、オリンピックの数ヶ月前に、
中村清監督が癌で亡くなってしまい、
監督からの指導や管理が受けられない状態に。

さらに本番の2週間前にストレスで血尿が出てしまい、
漢方薬を飲むが、下痢と脱水症状に苦しめられる事態。

本番では調子が出ず、タイムは2時間14分で、14位という成績。

監督が亡くなってしまったというのと、
体調不良が重なってしまったので仕方ないですね。

そんな状態でもこのタイムですから実力は本物だな〜

この時はストレスやプレッシャーが強く、
練習後にガールフレンドとディスコクラブに通うこともあったほど。

見かけによらず好色なんですねー

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その4年後にはソウルオリンピックに出場しますが、
タイムは2時間13分で9位と成績は振るわない。

もともと走り方は、中盤まで温存しラストスパートで逆転という走りでしたが、
監督がいなくなってからは先頭を保って逃げ切りという方法に変えたそうです。

やはり大学の時から指導していた監督がいなくなると調子も悪くなってしまいますね・・・

また、駅伝に出場した際に足をひねることもあったそうで、
怪我と闘いながらの練習だったので相当ハードだったものと思われます。

最後に

まとめると、瀬古利彦のオリンピックの成績は、
ロサンゼルスが14位、ソウルが9位。

いずれもタイムは自己ベストより7分近く遅れています。

なぜかと言えば、

  • 監督が急に亡くなられて体調管理や練習が乱れた
  • 厳しい練習でストレスやプレッシャーが強かった
  • 単純にピークを過ぎてしまった (ソウルオリンピックの時は28歳だった)
というのが理由ですかね。

また、オリンピックでのメダル獲得枚数はゼロで、
日本人初のメダル獲得はなりませんでした・・・ 

色々と運の悪い瀬古利彦ですが、
実力は認められていて、
現在はDeNAランニングクラブの総監督を務めています。

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